なんだか最近、他人が羨ましい。
友人や同僚と自分を比較しては、モヤモヤと行き場のない感情を抱えている。
他人を羨んでばかりいるこんな自分でいいのだろうか?
内容他人を羨む気持ち、つまり「嫉妬心」は、気づかぬうちに私たち凡人を幸せから大きく遠ざけてしまう「天敵」です。
「他人を羨む気持ち」つまり「嫉妬心」を完全に消してしまうことは至難の技です。
「他人が羨ましい」という感情を小さくして、日々を平穏に暮らす方向性で考えてみましょう。
この記事の内容
- なぜ「他人を羨ましい」と感じてしまうのか
- 普通に生きてて「比較をせずに生きる」のはほぼ不可能、仏の領域
- 「他人を羨む嫉妬心」を小さくする具体的かつ超実践的な方法
私が常日頃から、なにかしら負の感情を抱いたときに何度も読み返している「「Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法think clearly」という本に次のような言葉がありました。
結論。あなたの近所にも交友範囲にも行動範囲にも、必ずあなたよりよい人生を送っている人がいるという事実を受け入れよう。
一日も早く、あなたの感情のレパートリーから「嫉妬」を外したほうがいい。think clearly 「嫉妬を上手にコントロールしよう」より
「think clearly」「嫉妬」という感情についてざっくりまとめると次のように解説されています。
- 「嫉妬」はあらゆる感情の中でもっとも無意味で役に立たない有害な感情である
- 単純な話「誰とも自分を比べない」ことができれば、嫉妬はなくなるが、それが結構難しい
- だから嫉妬をできるだけ小さくすることを考えるべき
特に「嫉妬はあらゆる感情の中でもっとも無意味で役に立たない有害な感情である」というフレーズ・考え方が衝撃的で、わたしの「嫉妬」という感情への付き合い方が大きく変わったきっかけの一つです。
そんな私の実体験をもとに、日本に住む凡人が嫉妬をできるだけ少なくできるような具体的な方法を紹介します。
何故「他人を羨ましい」と感じてしまうのか?
まずは「なぜ他人を羨ましい」と感じてしまうのか?
について考えていきます。
普段は意識していないかもしれませんが
だいたい次のような感情の流れで、最終的に「羨ましいな」と感じているのが普通ではないでしょうか?
「他人が羨ましい」と感じるまでの感情の流れ
- 【遭遇】他人との「違い」に遭遇する
- 【比較】自分と比較する
- 【羨望】自分にも「欲しい」「あったらいいな」と思う
どんな感情の流れや構造で、最終的に自分が「あの人、羨ましいな」と感じてしまうのかを理屈で理解しておくことが結構大事です。
それぞれ、具体的に説明して行きます。
【遭遇】他人との「違い」にさらされる
まずは遭遇です。
極論、自分と他人との「違い」に遭遇することがなければ、その後の「比較」や「羨む」まで進んでいくことはありません。
この「遭遇」がなくなれば「他人を羨む」という感情とは無縁になることはできるかもしれませんが、事実、日常生活は他人との違いに遭遇する場面に溢れています。
- スーパーに買物に行った時
- 仕事をしているとき
- テレビを見ている時
- スマホでSNSを見ている時
- 散歩をしているとき
などなど
起きて活動さえしていれば、ほとんどの場面で、自分と他人との違いに遭遇する可能性はあります。
テレビやスマホでいつでも情報にふれることのできる現代人は、昔の人と比べて、より多くの「他人との違い」に遭遇しやすくなっているのは間違いないでしょう。
【比較】他人と自分との違いをはっきりと認識する
次の感情の流れは、「比較」です。
「他人との違い」に遭遇したあとに、「比較」することになります。
「比較」というと、2つのものを並べてその違いを観察するような印象を持つかもしれませんが、ここでいう「比較」のニュアンスは、自分と他人との違いに「遭遇」したあとに、自分(または自分の中の普通)と比較してどのように違うのかをはっきりと認識することです。
- 背の高い人を見て、(自分より)身長が高いなと思う
- 野球が上手い人を見て(自分より)野球が上手いなと思う
- 話し上手な人が居て(普通より)話すのが上手だなと思う
- スタイルが良い人をみて(普通の人より)スタイルがいいなと思う
- 良い車に乗ってる人をみて「ああ、自分よりいい車にのってるな」と思う
- 仕事ができる同僚を見ながらこいつは(普通の人より)仕事ができるなと思う
- 性格が悪い人を見て(普通の人より)性格が悪いやつだなと思う
このように、良くも悪くも「この人、〇〇だな」という感情を抱いたときは、ほぼ確実に「自分と他人を比較したとき」だと考えて良いです。
すこしややこしいですが「自分の中の普通との比較」については、自分自身が無意識に作っている「普通」というものさしで測っていることになるので、比較と考えて良いと私は考えてます。
【羨む】自分と他人との違いが埋まらないものかと思い悩むこと
最終段階の「他人を羨む」ですが、もっとわかりやすく言えば「自分と他人の差を埋めたい」と思い悩むことです。
- 「差を埋めたい」
- 「頑張ったらなんとか埋まるかもしれない」
といった違いに遭遇して、比較したときに
この差をなんとかできそうだし、なんとかしたいなー
とあれこれ考えている状態が「他人を羨む」ということです。
私たちが「羨ましいな」もやもやとと考えてしまうのは
たいてい次のような場面ばかりではないでしょうか。
「他人を羨ましい」と感じる場面
- 自分の車よりいい車(レクサスやBMW)をみて「いいなー、俺のコンパクトカーがなんか物足りないなー」と感じたり
- 大きくてキレイな家でBBQをしている家族を見かけて「いいなー、僕もいつか家庭を持って、大きな家の広い庭で盛大にBBQしたいなー」と思いを馳せたり
- 有名企業に転職を果たし、バリバリ活躍する友人の姿を目の当たりにして「それに比べて自分の仕事は何故か地味でパットしなくて、人に自慢できるようなものでもないなー」とおちこんだり
- SNSで海外旅行を楽しんでいる友人の投稿を見て「平日にこんな海外に行けるなんて、貴族かよ!!」と心のなかでツッコミを入れてみたり。
- 同世代の冴えない男がアナタのタイプど真ん中の超絶かわいい女の子とデートしているのを目撃して「俺も、可愛い彼女欲しいなーーーーーーー!!!」と切実に思ったり
ここで着目すべきポイントは、羨ましいという感情を抱くときは
- 羨む対象と自分の間に何かしらの共通点や類似点があること
- 自分もそれを手に入れたいと思っていること
- 頑張ればなんとか手が届きそうなとき
この3つを満たしているとき、つまり自分と同レベルにある対象にしか嫉妬の感情は生まれないというわけです。
友人が自分よりもちょっといい車に乗ってたら羨ましいのに、テレビの有名人が最高級のベンツを3台くらい乗り回しているのを見ても特に何も感じないのはわかりやすい例です。
凡人が他人を羨むことなく生きるのは無理な話、もはや仏の領域
他人を羨むまでの感情の流れ・構造について解説してきましたが、凡人が他人を羨むことなく生きるのは到底無理な話なので、「他人を羨むことなく生きる」ということ自体を目的にするのはやめておくことをオススメします。
なぜなら(遭遇・比較・羨む)を排除しようとすることは修行僧のように、悟りの境地でも目指そうかというくらい、普通の生活を営む凡人にとって難しいことだからです。
- 遭遇を否定することは、自分と外部との違いを認識する機会をすべて排除しようとすることです
- 比較を排除するということは、自分が社会の中でどういうふうな位置づけをしているか確認することをやめることと一緒です。
- 羨む、という感情を排除することは、生きていれば自動的に多発する「遭遇」と「比較」のあとに瞬間的にかつ自然に湧き上がってくる感情を無理やり抑え込もうという試みです。
この3つすべてを捨て去るということは、わかりやすく言えば、
山の中にこもって自分以外の人間との関わりを断って、テレビやスマホからのあらゆる情報を遮断して、仙人のような生活をするということです。
これをやめてしまおうというのは、社会的な生き物であることをやめようとする試みで、オススメしません。
仙人のような生活をして、何事にも動じない仏のようなメンタリティを身に着ければ、確かに「羨ましい」という感情とは無縁の人生を手にすることができるかもしれませんが、そんなストイックな境地を目指すのは現実的でではありません。
「他人」を羨む感情を消し去ってしまおうとムキになる必要はないということです。
「他人を羨む嫉妬心」を小さくする具体的な方法
「他人を羨む嫉妬心」を小さくするための具体的な方法について紹介して行きます。
僕がこれまで実践してきて、実際に効果を実感した方法を紹介していきます。
「他人を羨む嫉妬心」を小さくする具体的な方法
- 違いにさらされる「機会」を減らす
- できるだけモノを所有しない
- 幸せは外から見えるものではないことを理解する
違いにさらされる「機会」を減らす
単純に考えれば、「他人との違いに遭遇」する機会・回数を意識的に減らすことが「羨ましい」という感情を少なくするためのとても有効な手段です。
現代に生きる私たちの生活の中には、人との違い、外の世界の情報に遭遇する機会が必要以上に溢れすぎているからです。
自分で意識的に情報を遮断する機会を作るようにしないと、情報のチェックで頭の中がいっぱいになってしまうくらいです。
- 朝起きてテレビやスマホでニュースをチェックする
- 通勤、通学中にSNSで友人の近況をチェック、コメント
- 昼休みはスマホでニュースチェック
- 帰宅時の電車の中で、SNSをチェック、コメント
- 帰宅後、youtubeでいろんな動画を見たりする
こんな行為が日常のルーティンになっている人は危ないです。
え、これくらいのことは普通じゃないの?
逆にこれくらいしてないと、置いて行かれちゃうよ。
たしかに、ある程度ニュースをチェックしたり、SNSをチェックしたりしないと、世間知らずな感じになったり、友人や知人との話題について行けなくなることが多くなるかもしれません。
ここで言いたいのは、毎日のように「外の世界の情報」をチェックしに行く行為が、日常の習慣・ルーティンとして組み込まれていることが危ないということです。
毎日のように情報を取り入れていたら、それだけ「他人との違いに遭遇する機会」も増え、結果的に「他人が羨ましい」という感情に成長する可能性も高くなるでしょう。
ちなみに僕は日常的にSNSをチェックすることはほとんどありませんし、ニュースもほとんど見ません。
この習慣を取り入れてからも、特に日常生活に不便を感じることはありませんし、友達が減ってしまう感覚もありません。
モノをできるだけ所有しない
モノをできるだけ所有しないことで、比較する機会が減り、結果的に他人を羨むことも減ります。
モノには誰の目から見ても明らかな「カタチ」があるので、自分の所有欲をわかりやすく満たしやすい反面、大きさやカタチや特徴などで簡単に他人の持ち物と比較ができるし、かつ、その優劣が明確に分かってしまうからです。
車や家などが良い例ではないでしょうか?
- 自分の車はそこそこ気に入っているけども、友人がグレードの高いクルマを乗り回しているとなんだか少し悔しい気持ちになる
- 一軒家を購入したが、もっと大きくてスタイリッシュな家がすぐ近くに建って、なんだか少し悔しい気持ちになる
- お気に入りのジャケットを街角で自分よりももっとスタイルが良くてイケメンなお兄さんが上手に着こなしているところに遭遇して、なんだか少し悔しい気持ちになる。
高価なモノや大きなもの、強い思い入れがあるものほど、他人のモノと比較して自分のモノが劣っていたときの悔しさは大きいものです。
大きな買い物ほど、思い入れを小さくできるように控えめにしたほうが賢明ですね!
車なんて最新車を買っても、2〜3年後には新型が発売されてしまいますし、新築の家も10年たてば普通の中古の家になってしまいますしね!!
幸せは外から見えるものではないことを理解する
そもそも、幸せは外から見えるような、単純でわかりやすいものではないはずです。
- ブランド物や高級車を身につけることが当たり前になっていて、特に何を感じることもなく、今日の夕飯のことを考えているかもしれません。
- 去年買った高級車の支払いが家計を圧迫していて、どうしたものかと思い悩んでいるかもしれません。
- ブランド品を身に着けていない周囲からの憧れの目を浴びながら、優越感に浸っているのかもしれません。
こんな感じで、本人の感じ方・主観によって全く変わってきます。
「羨ましい」という感情は、ほとんどの場合が高級車やブランド品・SNSに投稿された「充実した生活の様子」のような外から見える表面的なモノが多いハズです。
だからこそ、羨ましいという感情が発生したときには
「幸せは外から見えるようなものではない」
というフレーズを用意して、頭の中で唱えれば、「羨ましい」という感情が大きく膨れ上がることが少なくなります。
まとめ
現代社会で生きていくには、毎日膨大な数の比較や競争にさらされることになります。
そんな中で「他人を羨ましい」という嫉妬の感情が出始めたときに
嫉妬ほど人生にとって無駄な感情はない!!
というフレーズを何度も思い出し、嫉妬心に心を侵されることなく、平和な毎日を過ごせるように修行していきましょう。
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